月影の入り江に眠る罪と愛

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官能小説
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第二章 男の足音

灯台から降りたミサキが夕方の見回りに出ると、昼間に見かけた男が海岸近くを歩いているのを再び目にした。白灯町は夏場になると隠れ家的な避暑地としてそこそこ観光客が増えるが、その男は観光客らしい浮ついた様子が一切ない。むしろ、沈んだ影を背負っているように見える。  ミサキはゴミ袋を持って砂浜を歩きながら、岩場に佇む男に声をかけた。 「こんにちは。この辺りは崖が危険なので、お気をつけください」  男はサングラスを外すと、端正な顔立ちと、少し疲れを宿した瞳が露わになる。 「ありがとう。少し散策していて、足を滑らせそうになったところだった」  低く落ち着いた声。その声には都会の洗練と、何かを追うような焦燥感が微かに混ざっているように感じた。 「観光で来たんですか?」 「ええ、ちょっと休養を兼ねて。この町には初めて来ましたが、静かでいい場所ですね」 「ここはわりと人目に触れない分、気が抜けないですよ。もしも何かあったら、あそこに見える灯台へどうぞ。私が管理しています」  そう言って岬の先の灯台を示すと、男は興味深げに視線を向ける。 「灯台の管理人……女性なんですね。名前を教えてもらえますか?」 「ミサキといいます。あなたは?」 「アキラといいます。……都会から逃げるようにやってきたといった方が正しいかもしれないけど」  そう呟くと、彼は曖昧に微笑んだ。陽光の下でもどこか陰りがある表情が印象的だった。  そのまま別れたが、ミサキの胸には微かなざわめきが残る。彼は一体、何から逃げてきたのだろう――。しかし、そういう詮索は本意ではない。都会での人間関係に疲れ、自分自身もここへ逃げてきた身だ。誰かの過去に土足で踏み込むような真似はしたくない。  静かな海と静かな暮らしに溶け込むように、ミサキは階段を上がり、灯台へ戻る。遠ざかる男の足音が、波音の中にかき消されていった。


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