影の熱

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日常
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第八章: 破滅の前兆

和樹が力を手にしたその瞬間、世界が変わった。目の前の機械が発する低い唸り声と共に、彼の全身を何かが貫通する感覚が走る。目を閉じると、過去の記憶が次々と呼び起こされ、まるで無数の映像が彼の脳内で交錯していた。失われた時間、取り戻したかった瞬間。和樹はその全てを、まるで手のひらの中で触れるように感じることができた。 だが、同時にそれは、彼の中に新たな痛みを引き起こしていた。記憶を操作する力。それは、和樹にとってただの力ではなく、深く根付いた影をもたらした。それは、過去を変える力であると同時に、未来をも変えてしまう力でもあった。和樹はその力の中に、ただの希望ではなく、見えない恐怖を感じ始めていた。 「これがあなたの選んだ道。」麗子の冷徹な声が、和樹の背後から響く。 和樹は振り返り、麗子の目を見る。彼女の顔には、どこか哀れみのような感情が浮かんでいるが、それは決して優しさではなかった。麗子が和樹に与えた力は、決して無償のものではない。何かを得るためには、必ず代償があるのだ。 「これで、私が何を言っていたのか、少しは理解できた?」麗子の言葉が、和樹の胸に突き刺さる。 「理解できた。」和樹は、少し冷ややかな口調で答える。「だが、私はもう後戻りできない。」 麗子は無言で頷く。彼女の表情は、ますます硬く、冷徹になっている。和樹がその力を手にしたことを、彼女がどれほど後悔しているのかがわかる。しかし、和樹はもはやその後悔に耳を貸すことはなかった。彼が望んでいた力を手に入れた今、何もかもが手に入るような気がしていた。 だが、力を使う度に、和樹の心の中で何かが変わり始めた。記憶を操作するたびに、彼自身の存在が薄れていくような気がした。過去を変えれば変えるほど、現在の自分がどんどん消えていく。思い出すべき記憶を変えるたびに、その記憶を手に入れることができなくなっていった。まるで、和樹が時間の中で消え去っていくような感覚だった。 そして、和樹はあることに気づいた。自分の過去を変えることで、他人の記憶にも影響を与えていることに。最初は小さな変化だったが、その変化が次第に大きくなり、周りの人々の言動が、和樹の記憶の中で作り上げられたものとは異なっていることに気づき始めた。自分が記憶の中で作り上げた人物たちが、現実に影響を与え始めていたのだ。 そのことに気づいた瞬間、和樹は恐ろしい予感に襲われた。過去を変えることで、未来がどう変わるのか、そして自分が今立っているこの瞬間が、果たして本当に自分のものなのか。それを確かめることはできないまま、和樹はその力を使い続けた。 「あなたが変えた未来が、今のあなたを作っている。」麗子が再び口を開く。「でも、気づいている? あなたがその力を使えば使うほど、あなた自身が消えていくことに。」 和樹はその言葉に心を打たれた。だが、彼がその力を使わなければ、過去の自分に戻ることはできない。彼はすでに、自分の記憶を改変することができる力を持ってしまった。そして、その力に引き寄せられるように、和樹はまた手を伸ばしてしまった。 「もう戻れない。」和樹は静かに言った。「過去を変えたから、未来も変わる。それが、私の選んだ道だ。」 麗子はその言葉を無言で受け止め、そして静かに歩き出す。「ならば、あなたはその力を使い続けることになる。」彼女の背中が遠ざかる。 和樹はその姿を見送った後、再び機械の前に立つ。記憶を操る力を使い続けることで、和樹は次第に現実と虚構の境界が曖昧になっていくのを感じていた。彼が手にした力は、ただの力ではない。それは、現実を変える力であり、同時にその力を使うことで、和樹自身が破滅へと向かっていることを彼は理解し始めていた。 だが、和樹はそのことを理解しながらも、止めることはできなかった。欲望が、恐怖が、彼を引き寄せていた。記憶を操ることで過去を変え、未来を作り上げること。それが和樹のすべてとなっていた。 そして、和樹は再び、記憶を変える手を伸ばす。その先に待っているものが、何であれ。


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