蒼穹の王剣(そうきゅうのおうけん)

ジャンル:

ファンタジー

著者:

語りの灯火

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第一幕:選ばれし者

血の匂いに満ちた戦場だった。灰色にくすんだ空の下、倒れ伏す兵士たちの呻き声と、どす黒い土埃が混ざり合う。鎧は無残に割れ、剣は欠け、地面には見知らぬ国の紋章を刻んだ旗が刺さっていた。冷たい風が一帯を吹き抜けるたび、まだ生き延びようと足掻く者たちの絶望の声が空虚に響く。  この地獄のような風景の只中で、アレン・フィオルは腹部から噴き出す血を必死に押さえていた。彼は「無剣者(むけんしゃ)」と呼ばれ、どの国にも属さない傭兵団の一員として、今日も荒れ果てた戦場に駆り出されていたのだ。王剣と呼ばれる神器を持たない者はこの世界で生きる価値がない――そんな侮蔑の視線を受けながら、これまでなんとか生き永らえてきた。  しかし、その日ばかりは運命の糸がぷつりと切れたかのように思われた。帝国の指揮官が率いる精鋭部隊が突如として攻め込んできたのだ。退路を断たれ、傭兵団の仲間たちは次々と斬り捨てられた。アレン自身も踏みとどまろうとしたが、王剣の圧倒的な力を前に何の抵抗もできず、あっさりと致命傷を負った。  冷たく濁る瞳で、遠ざかる意識の中、彼は少年の頃に目にした悪夢を思い出す。焼き払われた故郷の村。燃え盛る家々の火炎は血塗られた夜空を映し、そこには一振りの深紅の剣を握った男――ヴァルト・エグザイルがいた。あの宿敵の笑みは今でも頭蓋の奥にこびりついて離れない。復讐を誓ったはずなのに、こうして命を散らすのか――その無念を噛み締めながら、アレンはゆっくりと目を閉じた。  だが、その時だった。視界の暗闇を裂くように、蒼白い光が降り注いだ。見ると、辺りに散らばる死骸や濁った血の海を照らすかのように、澄み渡る青の輝きがアレンの眼前に浮かんでいる。まるで天上から落ちてきた稲妻が凝縮したかのように、うねりを伴いながら形をなしていくその存在に、周囲の兵士たちは恐れをなして後ずさった。  アレンの意識は混濁していたが、確かに聞こえたのは“声”だった。人間のものではない、もっと底知れぬ力を宿した囁き。そしてそれは呼びかける――「汝こそ、我を振るうに値する者」。  一瞬の静寂。次の瞬間、光は剣の形を取り、アレンの手元に吸い込まれるように納まった。それは伝説の王剣――蒼穹剣(そうきゅうけん)。かつて「未完成の剣」と呼ばれ、表舞台から消え失せたはずの神器だった。  彼の体を蝕んでいた痛みが、何かに引き裂かれるように急激に変化していく。苦しみから解放されるわけではない。むしろその逆に、身を灼くような熱と冷たい鋼の感触が同時に襲う。肉体を焼き付くす狂気と、絶対的な支配力を持つ剣の意志が、アレンの魂を押し潰さんとするかのように体内へ流れ込んでくるのだ。  その光景を目の当たりにした帝国兵たちは、すぐさま剣を構えて襲いかかろうとする。だが、激痛の中でアレンが本能のままに蒼穹剣を振るうと、空気さえ切り裂く剣閃が放たれ、倒れていたはずの傭兵たちを含め、辺りの屍たちまでも一瞬だけ宙に浮かせたかのように見えた。鋭い衝撃波が地を走り、血と土が舞い上がる。その刹那に視界が真紅に染まる。  そこには喜びも悲しみもなかった。ただ凄絶な閃光の痕跡が、戦場の死臭をさらに濃厚に変えただけである。まるで笑っているかのように輝く蒼穹剣。それが“選ばれし者”へ与える祝福なのか呪いなのか、今のアレンには判別がつかなかった。  こうしてアレン・フィオルは、生まれて初めて王剣の力を手に入れた。だが、その瞬間から、彼は深淵へと誘われることになる。王剣は持ち主に栄光をもたらすと同時に、闇の試練を課す。全てを焼き尽くす破滅の力か、それとも新たなる世界を切り開く英雄の刃となるか――それは今はまだ闇に包まれていた。  崩れかけた意識をかろうじて繋ぎとめ、アレンは血で濡れた大地に膝をつく。生温い風が戦場を吹き抜け、死者の怨嗟が耳鳴りのようにこだまする中、アレンはただ息をしていた。まるで偽りの生を与えられたかのように。  そして、運命に操られるかのごとく、彼は次なる闇へ足を踏み入れる。王剣を持たない惨めな少年から、己すら知らぬ力を秘めた「剣王(けんおう)」へ――その道程が、さらなる血と怨念に満ちた夜の幕開けを告げるのだった。


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