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語りの灯火
イツキは、闇市場の取引所からさらに奥深くへと男に案内された。そこは、記憶共有ネットワークの外で暮らす「非接続者」たちの住処だった。
壁には剥がれかけたプロパガンダのポスターが貼られており、その下には記憶を取り引きする隠語が並ぶ広告が乱雑に書き込まれている。人々はネットワークの影響を受けず、原始的ともいえる自給自足の生活を送っていた。
「ここが、ネットワークの支配を拒絶した場所だよ。俺たちは好きでこんな不便な暮らしをしているわけじゃない。ただ、自分たちの記憶を他人に触らせたくないだけさ。」
イツキの隣を歩く男が、ぼそりとそう言った。
「非接続者たちは記憶共有の便利さを捨てたのか……」
イツキは目の前に広がる光景に違和感を覚えながらも、どこか懐かしさを感じていた。それは、ネットワークに頼らず、個人が「自分自身」として存在するという感覚だった。
「おい、カイル。こいつが“リナの記憶”について知りたがってる。」
薄暗い部屋の奥に案内されると、そこに座っていたのは痩せた体にくたびれたコートを羽織った中年の男だった。彼はイツキを見上げると、興味深そうに目を細めた。
「リナか……その名前を耳にするのは久しぶりだ。」
「彼女の記憶を追っている。あなたが何か知っているなら教えてほしい。」
カイルは静かに笑った。
「お前、何も知らないんだな。リナが一体何をしていたのかも知らずに、記憶を追っているのか?」
「リナはただの人間じゃなかったのか?」
カイルは一瞬沈黙し、手元にあった古い端末を操作して一つの映像を再生した。それはリナがネットワークの中枢施設で働いている姿だった。
「リナは、記憶共有ネットワークの深部に触れた人間だ。彼女はそこで、政府が隠している秘密を知ってしまった。」
イツキは、その言葉に息を呑んだ。
カイルは、記憶共有ネットワークの真実を語り始めた。
「記憶共有ネットワークは、ただの便利なツールじゃない。政府はこのシステムを使って、過去を改ざんし、人々の認識を操作している。戦争も虐殺も、彼らにとって都合の悪い事実はすべて消され、代わりに“作られた記憶”が人々に共有されるんだ。」
「そんなことが……」
「リナはその事実を知った。いや、正確には“記憶の樹海”と呼ばれる場所にアクセスしてしまったんだ。」
カイルの声は重かった。
「記憶の樹海には、改ざんされる前のすべての記憶――真実の記録が眠っている。それを解放すれば、人々は本当の歴史と自分自身を取り戻せるだろう。だが、それは同時にネットワーク社会の崩壊を意味する。」
イツキはその話を聞きながら、リナが自分の命を懸けて追い求めたものの重さを初めて理解した。
「リナは、その記憶を託そうとしていた。お前に。」
カイルの言葉に、イツキは驚きの声を上げた。
「俺に……?」
「彼女はお前を信じていたんだろうよ。だから、自分の記憶をわざとばら撒いた。お前がそれを拾い集めて、真実を明らかにしてくれることを願ってな。」
イツキは言葉を失った。リナがなぜ自分の記憶をネットワーク内に残したのか、すべてが繋がった気がした。
「だが、その真実に触れようとするたびに、お前は政府の追跡者に狙われるだろう。それでも進む覚悟があるか?」
「リナが命を懸けて守ろうとしたものなら、俺もその遺志を継ぐ。」
イツキの決意に、カイルは静かに頷いた。
その時、部屋の外から足音が響いてきた。
「来たか……奴らが。」
カイルが顔を険しくし、隠し通路への道を示した。
「お前はここを出ろ。俺が時間を稼ぐ。」
「でも――」
「いいから行け!リナの記憶を無駄にするな!」
カイルの叫びに押され、イツキは隠し通路を通って部屋を後にした。背後から聞こえる銃声と叫び声が、彼の耳に痛々しく響いていた。
隠し通路を抜けたイツキは、カイルから渡された端末を手にしていた。その端末には、記憶の樹海への座標データが記録されていた。
「リナ……必ず、君が守ろうとした真実を見つける。」
そう呟きながら、イツキは次の目的地へと歩み始めた。