鉄火の剣豪 -時を駆ける鎌倉武士-

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歴史
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第二話:血煙の城門

うだるような夏の暑さが大地を焦がしていた。時を超えて戦国の世に降り立った鎌倉武士・梶原景真(かじわら かげざね)は、自軍の陣幕の片隅で、初めて手にした鉄砲を丁寧に手入れしていた。火薬のにおいと金属のひやりとした感触が、未だに馴染まない。  それでも、と彼は思う。これがなければ、あの戦場の熱気を生き延びることはできなかった。時代が違えども、戦の定めは非情の一言に尽きる。ならば、この鉄砲という“魔器”もまた、混乱の世を切り拓く手段となり得るのではないか。ふとそんな考えを抱きながら、景真は銃口にこびりついた煤を丁寧に拭い取った。  そこへ、顔なじみになりつつある足軽頭の男が慌ただしくやってきた。  「梶原殿、今宵は我らの軍が城を急襲するそうだ。殿(しんがり)には、鉄砲を扱える兵を多く付けるらしい。おぬしも含まれておるぞ」  男の言葉には、隠しきれぬ高揚と不安が混ざっていた。この時代には鉄砲がまだ十分に行き渡っていない。少数の選ばれた者だけが扱えるそれは、戦場での切り札になると同時に、失敗すればただでさえ限られた弾薬を使い果たして終わりでもある。  景真は静かにうなずくと、腰の刀に目をやった。己を支えるもう一つの武器。鎌倉で教えを受けた剣術のすべてが詰まっている。その存在があるからこそ、火縄銃を握ることを許せるのだと、どこか思っていた。  日が沈むと同時に、城のそこここで鬨(とき)の声が上がった。夜襲――それは勝つか負けるか、一瞬の判断と勇気にかかった危険な賭け。濃紺の夜空を背に、味方の兵たちが続々と動き出す。鎌倉時代の夜討ちに比べれば、規模も緻密さも桁違いだと景真は感じた。火薬の普及によって、暗闇を手探りで敵陣に忍び込むより、遠方から撃ち込む方が効果的な場合も多い。  「この城を落とせれば、殿の威勢は一段と高まろうな」  足軽頭が独り言のように呟いた。景真もまた、視線を城壁に向ける。どんな堅固な石垣であっても、鉄砲の一斉射撃と組織的な攻撃の前には揺らぐのか――この戦国の世は変わり続けているのだ。  しかし、夜の風に混じって不穏な気配が漂い始めたのは、まさに出陣の直前。城門の奥から、断続的な鉄砲の響きが聞こえてきた。  「敵にも鉄砲が備えられている、ということか?」  景真は疑念を抱く。その通りだった。先の合戦以降、各地の大名たちも一斉に鉄砲を買い求めているという噂は耳にしていた。夜襲が成功する保証はどこにもない。  「梶原殿、まずは城門近くまで忍び寄り、障子堀のあたりから牽制の射撃を頼む。そこを突いて、わしらが一気に突入する段取りだ!」  足軽頭の声に、景真は身構えた。両手で火縄銃を構え、刀を腰の左右のバランスに調整する。既に体が戦の刹那を覚えていた。  合図とともに、夜陰の中を駆ける。城門下の暗がりは、敵もこちらの動きを掴みにくいが、こちらもまた足を滑らせれば即座に命取りになる。景真は鎌倉武士としての鍛錬を活かし、石垣に身を隠しながら徐々に距離を詰めた。かすかな月明かりが、城壁を照らす。すると、不意に白い閃光があがり、火薬の破裂音が耳を打つ。敵方の鉄砲隊がこちらを発見したのだ。  「撃たれるぞ!」  味方の一人が叫ぶと同時に、鉛玉が景真のすぐ脇をかすめていった。危うく胸を貫かれそうだったが、ギリギリで身体を石垣に隠す。恐怖が腹の底から湧き上がるが、景真は歯を食いしばり、今度はこちらが反撃の番だとばかりに火縄銃を構えた。  パチパチと火縄が燃え、続いて轟音。反動で肩が痛む。けれど、城壁の上から悲鳴が上がり、敵の気配がわずかに後退したのを感じた。  「今だ――突っ込め!」  足軽頭が野太い声で指示を飛ばし、一斉に仲間たちが城門へ駆け込む。斬り結ぶ音が夜の静寂を切り裂き、火花が散る。景真も後を追い、腰の刀を一気に抜き放った。  ――どれほどの時間が経っただろう。戦慣れした戦国の兵たちも、この厳しい夜襲に疲弊したのか、ようやく城門付近の制圧に成功した。打ち立てられた松明の下、血まみれの甲冑を外している仲間たちの息遣いが聞こえる。景真の頬にも返り血が付いていたが、いつのまにか慣れてしまった自分自身に戸惑いを覚えた。  「あれだけ噂になれば、敵も鉄砲を備えておるわな。前ほど楽には勝たせてくれん」  足軽頭が失意の声を漏らす。確かに、この程度の城を落とすのに、これほどの犠牲が出るとは――景真は眠るように横たわる敵味方の亡骸を見つめながら、切り裂かれるような痛みに胸を掻きむしられた。この戦乱を、その手で終わらせることができるのなら――そんな葛藤が、今や景真の中で渦巻き始めていた。  そのとき、突然、誰かが上着の袖を引っ張る。驚いて振り向くと、先ほど助けた足軽が血を流しながら必死に立っていた。  「か、梶原殿……ご、御屋形様(おやかたさま)が、景真殿をお呼びだ。城の奥で……待っている……」  どうやら、この城にはまだ抵抗する者たちが潜んでいるのだろう。危険を顧みず、このまま突き進むのか、それとも退却するのか。景真は目を伏せ、今の自分にできることを考える。鎌倉から戦国へ、なぜ自分が運命を狂わされてここにいるのか。その答えはわからない。  けれど、武士として斬り拓くべき道は、やはり一つしかない。景真は血に濡れた刀を鞘に収め、火縄銃の火薬を新たに詰め替える。どんな状況でも、命を捨てず、一歩ずつ前へ――それが自分の在り方なのだ。  他の兵たちもまた、苦しそうに息をしながら立ち上がった。味方が増えるわずかな安心感を覚えつつも、油断はならない。景真は一行を率い、城のさらに奥深くへ足を踏み入れる。どこかから、また夜を裂くように鉄砲の一斉射撃が響いてきた。闇に閃く火花は、まるで戦乱の世に落ちた怨念のようだ。  「行くぞ、皆!」  熱気と汗、そして血のにおいが充満する狭い回廊を駆け抜けながら、景真はそっと胸の奥で誓う。この果てに、鎌倉に戻る手立てが見つからずとも――どの時代だろうと、剣を握ったからには背を向けることはできない。自らの道を貫くことこそが、武士の誇り。  その思いを抱いて駆ける景真の姿を、夜の闇は何も語らずに飲み込んでゆく。ばら撒かれる火薬の煙が明け方の空に溶けていく頃、新たな運命がさらに大きくうねり始めようとしていた。城を落とした先に待つのは、武士としての栄光か、それともさらなる血の連鎖か――景真の足音が闇を切り裂くたび、夜空の星が静かに瞬いていた。


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