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ファンタジー東京・渋谷のスクランブル交差点は、昼夜を問わず光と影が交錯する場所だ。歩行者信号が変わるたびに、人々の波が交差し、街全体が脈打つようなリズムを刻む。ビルの巨大スクリーンには鮮烈な広告が映し出され、光の洪水が視界を埋め尽くす中、駅前の大時計が午後11時を指そうとしている。大学生の相馬直栖は、そんな眩い世界の中で異変に気づいた。 いつもと違う。目の前を行き交う人々が、薄い霧に包まれたように揺らめいて見える。その奥に、見慣れない街並みが浮かび上がっていた。大通りの向こうに現れたのは、和風の街並みに中世ヨーロッパの要素が混ざった不思議な世界。灯籠に火が灯り、どこからともなく琴の音が聞こえる。 「……行かなくちゃ」 直栖は、その世界に引き寄せられるように横断歩道を渡り始めた。 スクランブル交差点を抜けた瞬間、景色は一変した。渋谷の喧鬧は消え去り、異世界の空気が直栖を包み込む。蒼い月が夜空に浮かび、石疎の道を覆う桜の花びらが風に舞っている。挬り返ると、そこにはもう交差点はなかった。 「ここはどこなんだ……?」 声に答えるように、金色の瞳を持つ少女が現れた。彼女の瞳は月光を反射し、不思議な輝きを放っている。潤やかな振袖には、細やかな桜の刺繍が施され、揺れる袖口から覗く手は透き通るように白い。背筋を伸ばしながらも、どこか漂う気品と冷静さが彼女の存在感を際立たせている。直栖を見つめ、微笑むその姿には、この世界の理を知る者の威厳が漂っていた。 「あなたも迷い人ですね。ここは『交差点の向こう』、現世と異界の境目に存在する『大幕の隅』です。時間と空間の壁が薄れ、現実の結び目が突如開いたような、幻想と現実が混在する地なのです」 少女の名は紅葉。她によれば、この世界は日本全国にあるスクランブル交差点を通じてのみ訪れることができるという。ただし、一度この地を踏み入れた者は、自分の役割を果たすまで帰ることは可能ならしい。 「直栖さん、あなたには『境界の守り手』になっていただきます」 紅葉の言葉に戻乱う直栖。彼が選ばれた理由は、幼い頃から心の奥底に宿る不思議な直感と、危機に対する冷静さが評価されたためだという。『境界の羅重盤』が示したのは、無数の候補者の中から直栖ただ一人。彼が特別な資質を持つとされる一方で、選ばれなかった者たちの存在がかすかに示唆されていた。この世界に侵入しようとする異界の存在を退ける力を与えられていた直栖だったが、その力を使うたびに、元の世界に帰る記憶がすこしずつ薄れていくという代償も負わねばならなかった。 翌日、直栖は京都の四条河原町のスクランブル交差点を訪れた。紅葉に渡された「境界の羅重盤」が示す方向に従い、次の「交差点の向こう」への戸窓を探すためだ。 京都の交差点を越えた先には、満開の紅葉が広がる異世界の山間が待っていた。直栖は妖しげな狐火に誘われ、山中に溜む異界の侵入者との戦いに挑むことになる。 いくつもの交差点を寻ね、日本全国の「交差点の向こう」での出来事を経験するうちに、直栖は次第にこの旅の意味を理解し始める。それぞれのスクランブル交差点が、人々の想いや感情が交差する「記憶の結び目」として存在していること。それを守ることが、世界そのものを支える大事な役目だということを。 渋谷に戻る日、紅葉は直栖にそっと嚇やいた。その瞳には一瞬の揺らぎが映り込むが、すぐに柔らかな微笑みに変わった。「あなたの旅はまだ始まったばかりです。交差点の向こうで過ごした時間が、きっとあなたの未来を照らしてくれるでしょう。直栖さん、どうか忘れないでください。この世界は、あなたが選んだ一歩で繋がり続けるのです。」紅葉はその言葉に祈りを込めるように、そっと頭を下げた。 「本当の交差点は、私たちの心の中にあるのかもしれませんね」 交差点の向こうでの出来事は幻想か現実か。戻った渋谷の街で、人々の流れに身を仲せながら、直栖はそっと微笑んだ。 「また、どこかの交差点で会える気がする。」