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語りの灯火
彩花は東京のアパートを引き払い、実家へ戻る新幹線の中でため息をついた。28歳。会社員としての日々は忙しく、それなりに充実していたはずなのに、祖母の死がすべてを色褪せさせた。故郷の町は、静かな川沿いに広がる桜並木で知られている。今は2月末、蕾はまだ固く閉じたままだ。実家に着いたのは夕暮れ時。木造の家は祖母の匂いが残り、彩花の胸を締め付けた。遺品整理を始めると、タンスの奥から桐の木箱が出てきた。埃をかぶった蓋を開けると、色褪せた着物と一緒に、一通の手紙。封が切られていない。表には「春夫様」と達筆な文字。裏には「昭和二十一年三月」と祖母の若い頃の筆跡。彩花は目を凝らした。手紙を開くと、インクが滲んだ文字が浮かんだ。「春夫さん、桜が咲く前に会いたい。戦争が終わり、あなたが帰ってくるのをずっと待っています。私の心はあの桜の下で、春が来るのを信じてます。」祖母の知られざる恋物語。彩花は手紙を握り潰しそうになりながら、窓の外を見た。川沿いの桜並木は薄暗闇に沈み、蕾が微かに揺れている。春はまだ遠い。でも、この手紙が何かを呼び起こした。
翌朝、彩花は祖母のアルバムを手に取った。戦後の白黒写真には、若く笑う祖母と、見知らぬ青年が写っていた。裏に「春夫と私」と小さく書かれている。彩花の心拍が速まった。春夫は実在したのだ。地元の図書館へ向かい、町史や古い新聞を漁った。終戦直後、春夫は復員兵として町に戻ったが、家族を失い、仕事も見つからず、やがて姿を消したらしい。祖母の日記には、彼との思い出が断片的に綴られていた。「春夫と桜を見た。あの笑顔を忘れない」「彼が帰ってこないなら、私が待つ」。彩花は涙を拭った。古老の一人、近所の佐藤おじいさんに話を聞くと、意外な言葉が返ってきた。「春夫か。あいつ、町を出た後、生きてるって噂があったよ。どこかで家族を作ったとか。」生きているかもしれない? 彩花は衝動的にスマホを手に取り、手紙の写真を撮ってXに投稿した。「祖母の遺品から見つけた手紙。春夫さんって誰だろう。桜が咲く前に知りたい。#桜の手紙 #春の訪れ」数時間後、投稿は数百のリツイートを記録。「素敵な話」「私のおじいちゃんかも」と知らない人からの反応が殺到した。彩花は驚きつつ、コメント欄で手がかりを求めた。「春夫さんを知ってる人、いませんか?」と。
数日が過ぎ、町に春の兆しが訪れた。川沿いの桜並木の蕾がほころび始め、淡いピンクが空を染めていく。彩花は毎朝、桜の様子を眺めながら祖母のことを考えた。彼女はこの季節をどんな気持ちで迎えたのだろう。Xでは「春の訪れ」が話題に上り、彩花の投稿も勢いを増していた。あるフォロワーからDMが届いた。古い写真が添付され、そこには若い祖母と春夫が桜の下で笑っている姿。裏に「春夫と」と書かれていた。彩花は息を呑んだ。間違いない。興奮を抑えきれず、彼女は再びXに投稿した。「春夫さんの写真が届いた。祖母の初恋の人。生きてるなら会いたい。誰か知ってる人、いませんか? #桜の手紙 #春の再会」投稿は一晩で万単位の「いいね」を集め、「#桜の手紙」がトレンド入り。フォロワーからは「泣ける」「春夫さん見つけてあげて」と応援の声が溢れた。彩花はスマホの画面を見つめながら、自分が始めた小さな旅が大きな波紋を広げていることに戸惑った。その夜、別のアカウントからDMが届いた。「私は春夫の孫です。お話ししたいことがあります。お近くなら会えませんか?」彩花の手が震えた。
桜が満開になった週末、彩花は川沿いのベンチで男と会った。40代くらいの穏やかな顔立ちの彼は、慎也と名乗った。「祖父、春夫の孫です」と。彩花は手紙を握りながら、彼の話を聞いた。「祖父は10年前に亡くなりました。戦後、町を出て、別の町で家族を作った。でも、毎年この桜を見に来てたんです。誰かを思い出してるみたいで、僕には話してくれなかったけど。」慎也が鞄から取り出したのは、古い写真。そこには若い祖母が写っていた。春夫が大切に持っていたものだ。彩花の目から涙が溢れた。「おばあちゃん、彼を待ってた。ずっと。」慎也は静かに頷いた。「祖父もそうだったと思います。桜の季節になると、遠くを見つめてました。この手紙、読んでもいいですか?」彩花は手紙を渡し、慎也が読み上げるのを聞いた。「春夫さん、桜が咲く前に会いたい…」声が風に乗り、満開の桜が花びらを散らした。彩花は立ち上がり、手紙を手に持ったまま、桜並木の下で叫んだ。「おばあちゃん、春夫さんを見つけたよ! 桜が咲いたよ!」涙が止まらなかった。慎也が微笑んだ。「ありがとう。祖父も喜んでると思います。」二人は桜の下でしばらく立ち尽くした。春風が手紙を揺らし、過去と今を繋いだ。
彩花は東京に戻らず、町に残ることを決めた。祖母の家を片付けながら、自分の人生を見つめ直していた。会社を辞め、ずっとやりたかった絵本作家への道を歩もうと決意したのだ。春の陽光が差し込む縁側で、彼女はノートを開く。そこには、桜と手紙をテーマにした物語のスケッチが描かれていた。最後に、Xに投稿した。「春夫さんを見つけた。桜の下で祖母の想いを届けたよ。私も新しい春を始めます。#桜の手紙 #春の訪れ」画面には「いいね」や「おめでとう」の声が溢れ、彩花は笑った。桜の季節が、彼女に新たな一歩を踏み出させたのだ。