帰る場所

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日常
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短編小説:帰る場所

プロローグ 電車の窓から見える田園風景。都会の喧騒から離れるにつれ、拓也の心の中にはどこか懐かしさと、少しの不安が入り混じる。 「帰るの、久しぶりだな……」 スマホを開くと、母からのメッセージが届いていた。 「夕飯、好きなもの作るわよ。何がいい?」 その一文を見て、拓也は少しだけ微笑んだ。仕事に追われる日々。最後に帰ったのは一年以上前だった。 最寄り駅に降り立つと、少し背の伸びた妹・優奈が手を振っていた。 「兄ちゃん、遅いよ!」 屈託のない笑顔。その瞬間、拓也の胸に何か温かいものが広がった。 彼の"家族"との時間が、静かに始まる——。 第一章 家族の変化 実家の玄関を開けると、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。醤油と出汁の香り。母の作る煮物の匂いだ。 「おかえり、拓也」 キッチンから母が顔を出し、優しく微笑んだ。 「ただいま」 久しぶりに口にする言葉に、自分で驚く。 リビングには父が新聞を広げていた。だが、かつて仕事終わりに談笑していた頃とは違い、どこか疲れた表情をしている。 「久しぶりだな」 「うん、忙しくてなかなか帰れなくて」 拓也がそう言うと、父は少し頷いただけだった。 食卓に並ぶ料理はどれも懐かしい味だった。だが、昔のような賑やかな食卓とは違い、どこかぎこちなさがあった。 「おばあちゃん、最近どう?」 拓也がそう尋ねると、母が少し困ったように笑った。 「……ちょっとね、物忘れが増えてきたのよ。でも、元気にはしてるわ」 すると、奥の部屋から祖母がゆっくりと歩いてきた。 「おや、拓也かい?」 「ばあちゃん、久しぶり」 祖母の笑顔に安堵したのも束の間、彼女は続けた。 「ところで……どちら様だったかしら?」 その一言に、空気が固まった。 母が申し訳なさそうに言う。 「最近、時々こういうことがあるの。大事な人の顔を忘れちゃうみたいで……」 拓也は、祖母の穏やかな瞳を見つめながら、小さく笑った。 「俺だよ、拓也。ほら、子どもの頃、ばあちゃんが作った焼きおにぎりが好きだったって話、覚えてる?」 すると祖母は、少しの間を置いてから、「ああ……そうだったねぇ」と笑った。 記憶の波が押し寄せたり、引いたりするように——。 第二章 すれ違う思い 翌日、拓也は町を散歩していた。 通い慣れた道。小学校の校庭。昔の友人たちと遊んだ公園。 変わらない風景の中で、変わったのは自分なのか、それとも家族なのか。 その夜、リビングで母と話していると、父がぽつりと呟いた。 「お前、東京での仕事は順調なのか」 「うん、それなりに。でも忙しくてなかなか帰れなくて」 父は新聞を畳み、少し目を伏せた。 「……そうか」 ただそれだけ。 昔はよく話したはずなのに、今はお互いの気持ちが見えない。 その後ろで、祖母がテレビを見ながら小さく笑っていた。 「このドラマ、昔、拓也と一緒に見たねぇ」 それはまるで、時々訪れる記憶の断片が、家族を繋ぎとめているかのようだった。 第三章 小さな変化 翌朝、拓也は台所に立つ母を手伝っていた。 「母さん、ばあちゃんのこと、大変じゃない?」 母は手を止め、小さくため息をついた。 「うん。でも、こうして一緒にいるとね、毎日が少しずつ特別になるのよ」 その言葉が、胸に響いた。 夜、妹の優奈が突然話し出した。 「ねえ兄ちゃん、どうして都会に行ったの?」 「どうしてって……仕事のためだけど」 「そっか。でもさ、たまには帰ってきてよ」 優奈の言葉は、単純でまっすぐだった。 拓也は少し考えてから、小さく頷いた。 エピローグ 帰る日、玄関で祖母が拓也の手を握った。 「拓也、また帰ってくるかい?」 「うん、また来るよ」 祖母の記憶がどれだけ薄れても、何度でも伝えようと思った。 家族は変わる。でも、変わっても、そこに"帰る場所"がある限り——。 電車の窓から、実家の景色が遠ざかる。 拓也は、スマホを開いて母にメッセージを送った。 「また近いうちに帰るよ」 都会の暮らしの中で、家族との時間を思い出しながら、彼は静かに微笑んだ。 ——終わり。


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